くもりのち晴【セミリタイア】

30代までにセミリタイアを目指して。

過ちては改むるに憚ること勿れ


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こんにちは、くもりです。

人生の目的を持っていると思いますが、目的なくして生きることは難しいです。

 

人に認められること、自由に生きること、幸せになること、、。

上の3つは、わかりやすい例ですが、他にも今の生活を維持したい、ストレスが少ない生活をしたいなど消極的な目的や、誰とも関わりたくない、人を傷つけたい、他人に依存して生きていたいなど、他の人から、見たら理解できない目的もあります。

 

意識してる・してないは、別としてそんな目的を人は、持っています。

一見合理性に欠ける人でも、その人の中で合理性があり、私達の考える目的とその人が考える目的にずれがあるため、おかしいと感じます。

 

いろんな意味で、目的とは、生きる上で大切です。

しかし、目的が一つとも限らないし、もしかしたら相反する目的を持っている人も中には存在するでしょう。

 

世の中は、人が理解できるように単純化されて整理されているようにみえますが、実際は理解するには、複雑なことが多いですから。

 

もし、生きている中で、自分が無意識の内に望んでいる目的と自分が考えている目的が解離していたり、自分の目的が矛盾を孕んでいたりした時、つまり言い換えれば、自分の目的が間違っていたと気づいたとき、人はどうすればいいのか?

 

過ちを改めて、生きるのか。

目的を改めて、生きるのか。

もしくは、何もせず外からの刺激をまって問題なくなるまで放置をするのか。

 

選択肢は、いくつかありますが、私は、過ちを改めて生きたいです。

 

私の生涯の悩みになりそうな結婚について、私はしないと決めました。

私が結婚に望む人は、世の中に結構、存在していますが、決して自分には届かないと理解しています。

 

妥協して結婚することは今の年齢なら、できると思いますが、人生の目的を達成するのに本当に、必要なのかと思います。(あと、10年もすれば、結婚自体できなくなりますが。)

 

私の人生の目的は、不幸ではない人生をおくることです。妥協の結婚は、その目的を達成するのに必要ないと思うので結婚はしません。

それより、仕事でのストレスを減らし、人とかかわらない生活をおくれれば、私の目的は達成されます。

 

ただ、最近思うことがありました。

私が本当の目的は、不幸でない人生をおくることではなくて、幸せになることなのではないのかと。

「不幸でない」と「幸せである」は、明確に違います。幸せである状態は、自明ですが、

不幸でない状態は、何もない状態or幸せである状態です。

 

妥協の結婚は、最終的に「不幸である」か「幸せである」かのどちらかに行き着くでしょう。私が目指している不幸ではない状態、厳密にいえば、何もない状態にはたどり着かないと思います。

 

私は、自分の能力の限界を決めつけています。

そこら辺にいるただの凡人であることを自覚しています。

だからこそ、自分の能力や環境で目指せる「不幸ではない」状態を目指していました。

 

ですが、近くで結婚で幸せそうにしている人がいてそれを感じます。みんなそれぞれ、悩みはありましたが総合的に判断して幸せと言い切れる状態でした。

 

私は、投資の情報を集める以外にsnsは使わないので、知り合いの近況を逐一把握しているわけではないですが、話を聞いていてその話をする様子が楽しそうでした。

 

これから、離婚する人もいるかもしれませんが、それは一時的ではあれ幸せであるので一旦おいておきます。

 

周りの話を聞いて思ったことが、私は不幸でない状態では満足できないのではないか、幸せになることでしか満たされないのではないかと。

 

もしそうなら、目的が間違っていたことになります。

今は、まだ目的が間違っていたと判断はしていませんが、目的が間違っていると確信した時、今とは違った行動をとる覚悟はあります。