くもりのち晴【セミリタイア】

30代までにセミリタイアを目指して。

【時事】判子について

こんにちは、くもりです。

河野大臣が判子についてtwitterにて煽りちらした投稿をしていました。

現在は削除されているみたいですが、判子業界の人が怒っているみたいですね。

わたしは、以下の動画で知りました。

 


河野大臣、「押印廃止」判子を笑顔でツイッター投稿。廃れゆく判子業界を煽り散らかし山梨県知事が大激怒【デジタル化、脱ハンコ】

 

まあ、当事者が怒る気持ちはわかります。自分の積み上げてきたものが馬鹿にされてるのだから。

 

でも、仕方がないことでもあるなと思いました。判子は、すでに廃れていても良かったけど、それを無理やり延命して今まで使い続けている現状があり、私自身判子自体に対して古びた過去の遺物が、なぜいままで存在しているのかと疑問に思っていました。

 

今も存在しているのは、少なからず判子業界が時代にあらがってきたせいでもあると思います。自分たちの働く場所を必死に守ってきたのでしょう。たとえそれが、非効率な仕事を他者に押し付けたとしても。自分の居場所を守るために。

でも、そうしていくうちに、世間ではますます判子の必要性が疑われだして、判子が邪魔者になってきました。本来は、10年以上前に廃止を考えるべきだったのにそうなっていない状況に、いらだちが積もっていき、判子という存在を敬意をもって接していけなくなり、その業界にいる人のことも邪魔者に思って敬意を欠く人がでても不思議ではないです。

 

河野大臣がtwitterに投稿した内容は、人としてはどうなのかと思う内容でしたが、若い人たちと判子に対する価値観は同じように思えました。

 

後、上の動画で判子業界の人に対して敬意をもっていないのはいいとしても、表にだすなと言っていましたが、それには同意できないです。もし、判子を廃止するためのモチベーションを維持するために、世間からの評価をtwitterで集めているかもしれません。

 

河野大臣も人間ですから、モチベーションを保ちながらでないと、仕事はできません。完璧ではないのです。少なくとも現状を変えてくれる人がいて、その人のモチベーションを奪うようなことはよくない。

 

それに、廃れゆく産業にまで気を使っている余裕はないのです。彼には、もっともっと変えてほしいことがあります。他に全力を注いでもらわないと困ります。

 

お年寄りに多いのですが、自分が敬意をもって接してもらわないと怒る人がいます。筋を通せだのなんだの言ってきますが、古い価値観の筋など、若い人にはわからないし、それを通すためにどれだけの労力がいるかわかっていない。そんな人たちと関わるたびに思うことがあります。

「あなたは敬意をもって接してもらえるほどの価値がありますか」

 

これに「はい」と答えられる人達は、そう多くはないはず。ほとんどの人は、大した人生もおくっていない。お年寄りだから敬えとか、これまで社会を支えてきたから敬えとか言う人もいますが、はっきり言ってそんなことをいうやつは敬えません。

 

今回の判子もお年寄りに例えると若い人には理解してもらえるかもしれない。

判子は古くから伝統があり、判子を製造する過程で様々な人がかかわっているかもしれないが、既に古く時代遅れで新しい働き方の邪魔にもなっている。無理やり延命して今も続いているが、そんな判子および判子の製造に携わる人に対して、以下のように思う人がでてきてもおかしくない。

「判子は敬意をもって接してもらえるほどの価値がありますか」

 

古くから伝統があるとか、これまで社会を支えてきたからとかそんなものだけでは敬意をもてない。判子を廃止する動き自体は前からあったはずなのに、それを受け入れきれてない姿勢をみて若い人はどう思ったのだろう。

 

今回の河野大臣の発言はそれだけで切り取ってみても、「ただ人間的におかしい、もっと謙虚に気をつかえ」で終わってしまうかもしれないが、いままでの歴史の流れを踏まえると、見方もかわるかもしれない。